・ついつい考えてしまう「意味」とは?

毎日を生きていると、これは良いことなんだろうか悪いことなんだろうか、目の前の事象に対して区別しようとしてしまいます。例えば黒い猫が横切ったから不吉なことがおこるかもしれないは有名ですね。他にも明らかに利害関係のあるような事象、宝くじに当たった、逆に車に当たったなども当然自分自身の中でこれは良かったこと、悪かったことと区別していきます。

宝くじに当たればお金が増えるから良いに決まっているといえばその通りなのですが、そもそも森羅万象の事象に良いも悪いもなにもありません。ただそれが起きた、ということだけです。買った宝くじが当選してお金が増えた、これが事象であって、ただの「動き」です。それ自体に意味はありません。その事象に対して喜怒哀楽を感じたり何らかの意味を見出したり、良い悪いの判断をするのは、すべてその人自身なのです。

占星術でも同じく、星の動きを読み取り、そのエネルギーの動きを感じ取りますがこれ自体に何かの「意味」はありません。
その感じ取ったものを観察者目線から分析していくことによってこれからの人生を予測したり、経験したことに価値をつくりだしていきます。

しかしながら、日々の中ではその何かに意味を見出し「判断」し続けながら生きていかなければならないので、どうしても「事象」と「意味」の境がなくなってしまいます。

そうすると目の前の現象に対して、誘導されるように心を動かされていくことになるので、過度なストレスを感じたり冷静な判断ができなくなったりなど生活に生じる「ズレ」が生まれます。
知らず知らずに、しかもズレが大きくなればなるほど本来の自分自身の輝きを見失っていくので、結果思いもよらぬ形で人間関係が悪化したり、不幸と感じるようなことが起こるのではないでしょうか。

私はその道の人間ではないので憶測でしかないのですが、瞑想やヨガといったものも、元々の目的は「事象」と自分自身の「見方」や「思考」を切り離し、「ズレ」を解消させる、そうやって本来の自分自身を取り戻す作業をしているのだと思います。

私のセッションも、この「事象」と自分自身を区別することを重要視します。
相談者様と一緒に「そもそもなんでこういう風に感じちゃうんだろう」とか、「自分でもどうしてこんなことをしているのかわからない」など、当たり前になった今の自分自身を見つめなおす作業していきます。やはりまずは本来の自分自身からつくっていくことが、何事も重要だと思えます。

次は似たようなテーマで「社会から切りはなれてみる」を書きたいと思います。といっても俗世界からはなれて仙人のような生活をするようなお話ではないので、安心してくださいね。

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