・「怒る」からみたそのものの価値

今日は「怒り」に焦点を当ててみたいと思います。
皆さまはついつい怒ってしまった場合、そのことをどう感じていますでしょうか。
怒って当然、ということもあるとは思いますが、何か「怒り」という感情を露にすることに対して、後悔の念があるかと思います。
基本的には怒るような場面をつくりたくないですし、本人も怒ればとても疲れます。それに後で怒ってしまったことに対して、ものすごく悩んでしまうことも多々あります。
これは対人関係に限らず、急いでいるのにトラブルがあって怒りを物にぶつけてしまったとか、上手くいかない自分自身に対して憤りを感じるとか、「怒り」が含まれるあらゆる場面に言えることができます。

その為、怒らない人間になれるよう成長したい。そうおっしゃる方も少なくありません。私もやはり怒るような生活はしたくありません。

それはそうとして、この回ではその「怒り」に対する対処法のお話はしません。

そもそもなぜ怒ってしまうほどのことが存在するのかというところを掘り下げてみたいと思います。

結論から申しあげると、その事象に対して、怒ってしまうほどの価値を感じている。ということが言えます。

皆さまも思い起こしてみてほしいのですが、本当に自分自身にどうでもいいことは、事象の大小関わらず怒ることはあり得ないのです。例えば、本人や近しい人が何か大事なものを盗まれた、という現象にはほとんどの人が怒りを感じます。しかし、ニュースで誰かが同じように盗まれたというのをみたとしても、ほとんどの人はなんとも思いません。もちろん気分はよくなくても、怒るほどかと言われると程遠いわけです。

つまり「怒り」はその人にとっての重要度のパラメーターになっているのですね。何故自分自身がこんなにも怒っているのかわからない、ということがあれば本人でも気づかないほど価値が高いものだと感じているのでしょう。

注意しなければいけないことは、本当に怒ってしまうほどの価値がその人にとってあるのかどうかは別です。あくまでもその時、価値を感じているという話です。そしてだからといって怒っていいというわけでももちろんありません。

ただ、そういう風に「怒り」を価値を計る一つの目印としてみたら、人生に対するアプローチの方法が違ってくるかもしれません。
あのときものすごく怒ってしまったけど、それほど私はそれが大事だったのかな。と「怒り」にだけ焦点を当てて反省や自身を責めたりするだけでなく、私にとって何が大事か、いろんな角度からみていきましょう。

 

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