・「良いと感じる」という罠

皆さんは自分自身がいいと思っていることを実行できていますか?「体に良いこと」「仕事に集中するために良いこと」「対人関係にとって良いこと」「世の中にとって良いこと」。たくさんの生き方の中で良いことを重ねていくことは気分がとてもよく、かつそれで人生をよりいい方向に向かせられるならば最高です。基本的にはそれを適度に習慣化させていきたいものです。
しかし、何事もそうですが、「良いこと」でさえも過信は逆効果を生むことはあります。

少し長くなるので2回に分けて書きます。
 

「良い」とはどういうことなのか、オルムスでは何を前提としているかはこちらのブログを参照してください。
http://littlewindorganaizer.com/2017/05/10/blog-1/

前提として人間の感情は単純な二元論では説明できませんが、ここでは説明しやすくするために、「良い」と「悪い」に分けてお話したいと思います。

例えば、「あなたが『悪い』ことと感じていることをやめたいと思いますか?」と質問されると多くの方が「はい」と答えるはずです。逆に「あなたが『良い』ことと感じていることをやめたいと思いますか?」と質問されたらどう答えるでしょうか?
意味のわからないことを聞いているかもしれません。
この質問の本当の意図はこういう含みが入っているのです。

「あなたが『良い』ことと感じていることが[実は逆に良くない結果を招いている]というのを知ってやめたいと思いますか?」

こういう風に聞かれるとどうでしょうか?そもそも「良い」と思うことをしてそんなに悪い結果をもたらすようなことが起こっているのでしょうか?

私が実際に見聞きした例をあげます。車いすの方が地下鉄の駅へ向かう下り階段の近くで止まっていたら、一人の女性が駅まで送ってあげると言っていきなり車いすを押して、エレベータに乗り、改札の前まで移動させられました。その女性は移動後すぐに帰ったのですが、その車いすの人はただ階段の近くにいただけで駅に行きたかったわけではありませんでした。つまりその女性が駅に行きたいのだろうと勝手に判断し、本人の意図を聞く前に行動を起こしたのです。いわゆる典型的な「ありがた迷惑」の話です。

もっと規模を大きくしてみてましょう。支援団体を通じてある地域を発展させるためにたくさんの施設を建設したり、物資の援助を行いました。しかし、それが原因で小さいながらも保たれていたコミュニティが唐突にたくさんの資産ができたため、利権問題が発生し地域の治安がすっかり乱れてしまったり、支援されることに慣れ、現地の人の生活改善の意欲低下が起きたりするといったことです。

ここで考えておくべきことは、これが「良い」と思われて行われていることなのです。事を起こした本人は自発的に「良い」ことを行い、気分も大変よく、世の中に貢献した。と感じていることが基本です。つまり良い経験として本人には認知され、いつのまにか「良い結果」をもたらすから、ぜひ続けるようにしようとまで思ってしまうのです。それがあたり前になってしまうと、いざ「良くならなかった事実」を伝えたとしても、「どうして?私は良いことをしたのに」や「良いことをすれば良くなるに決まっている」と事実に対してまるで耳を貸さなくなります。さらに「良い行い」は社会的にも称賛される立場であることも助長して、ますます変化を起こすのが困難になってくるのです。

そういう意味では「良いと感じること」は「悪いと感じること」よりも自己認識が変わりにくいという意味でずっと厄介なものであり、大きな問題をもたらすきっかになりうるものなのです。

では、どうやって「良いと感じること」に対して柔軟な認識ができるようになるか?その方法を次でお伝えします。

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