他人から受け入れられることはそんなに大切?

人は、常に誰かから承認され、受け入れられることを望んでいます。
家族間での承認、友人間での承認、地域での承認、職場での承認……
人はこのように社会から一定の承認を得たと感じることによって、初めて自己という存在を受け入れることができます。
つまり他人との存在の共有がなければ自分自身の認識が成り立ちません。「人の間」とは言ったものです。

その為、受け入れられるために多くの人は何か行動をしようとします。
そして、そうであるが故の悩みを抱えることにもなるのです。

例えば、子どもの頃に家のお手伝いを進んでしようとした経験はありませんか?その時の心境は少なくとも、私も参加して家事をスムーズに進めようと思っているのではなく、お手伝いをすることによって親を喜ばせたい、そして褒めてほしい、そう考えていたと思います。
お手伝いをして良い子だと褒めてもらえることは、子どもにとっては何よりの自己承認だと感じたでしょう。

しかし、時には間違えたりやってはいけないことを知らずにやってしまうこともあります。そして意図に反して怒られた場合、それはずっと悲しかったはずです。
褒められる為にやってるのに逆に存在を否定されたという思いを感じるます。やり方がまずかったと今なら理解できますが、当時は納得できるわけもなく、行動を受け入れてくれない焦りやストレス、親に対する不信感が募ります。「もう二度とお手伝いなんかしない」と子ども心に誓っていたかもしれません。

これはあくまでも子どもの頃限定のお話かもしれませんが、実際は大人になってもその連続かもしれません。

友達の私に対するイメージを壊したくないから、無理してキャラクターを演じたり、地域で孤立したくないから、町内会の嫌な仕事を押しつけられても、愛想よく受け入れたりといったこともそうです。
また世の中からの一定の理解と承認を得たいから、それなりの立場をキープしておく。反対に、社会的に強い立場を得たいから、意に介さず出世競争を勝ち抜こうとする。
似たところでは興味なくてもブランドもので身の回りを固めるといったことも……
探していけば、いくらでも出てきます。逆に言えば世の中はいかにして他人から受け入れられるか、ということを中心に動いているということかもしれません。

ただ、あくまでもそれらが悪いわけではありません。始めに書いたように人は承認されることに重きをおいていますから、我が身を他人から承認されやすい、安全な場所に確保しようとするのは、当たり前の話なのでしょう。

しかし、それが行き過ぎれば、大きな重圧となって自分自身に襲い掛かっています。また他人の目を気にしすぎるあまり、本来の私が何を思っていたのかさえ思い出せなくなってしまうのです。
「あれ、なんで私こういうことしていったんだっけ?」そう感じた時には精神的にも肉体的にも深く追い込まれてたなんて話も珍しくありません。

人のほとんどの悩みは「他人と自己の認識のズレ」によって生まれています。
つまり、周りからの承認を受けようとすればするほど、実は自ら悩みを生産しているといっても過言ではないかもしれません。

では、どうすれば自分自身にも嘘をつかず、周りからも受け入れられるようになるのか。
それは「他人の承認を気にしない」
ということです。
今までと真逆のことを言っていると思われるかもしれません。しかしながら、それが結局は「他人からの承認」につながっていくのです。

その理由は次回お話します。

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