受け入れられることを意識しすぎ?

こちらは以下のブログの続きです

他人の承認は求めなくていい(前編)

前回は「他人からの承認」を得るためには
結果的にそれを求めようとしなくていいというところまでお話しました。
では具体的にどういうことなのでしょうか?

人は周りに承認、受け入れられるための理由を演出します。それは多くの人にとってとても「当たり前」なことです。
矛盾しているようですが人は承認されるために、ありのままの自分をさらけ出すことはありません。
他人のイメージ、理解に沿うように伝えやすい「理由」をつくりだし、表現方法を変えていくのです。

その「当たり前」があまりにも自然すぎて、生きていることそのものに馴染んでいってしまいます。
理解されるための理由付けが、いつのまにか自分自身の中で混同してしまい、シンプルだった本来の「私の願望、本心」が、理由をつけていくことによってどんどん複雑化していきます。
つまり現代人は「理由」で身を固めすぎているわけです。それらが本心としっかり区別できていれば大きな武器になりますが、多くは理由付けする必要がない、「他人から承認」される必要のないところでも「理由」で埋め尽くされています。

例えば「今日は家事をやりたくない」「この仕事はやらない」
この気持ちに対して、なにか納得できる理由はいりません。やりたくないものはやりたくない。本当にやらないと決めて周りに伝える段階で初めて、理由付けをし、承認されればいい話です。
しかし、この「やりたくない」と思った部分でさえも、意識せずとも理由を作り出そうとします。
「今日は体調が悪い」「たまには手を休めることも大事」「他にやるべきことがあるはず」など
やりたくないと感じた時、ほぼ同時に何か理由を考えてはいないでしょうか?こういった理由は本来は無かったにも関わらずです。

それはいかに誰かから「承認」されることを意識して、それを中心に生活を送っているということが言えます。それだけに偏ると、当然「本心」でさえも「承認」されるための理由で覆い隠されてしまいます。
まさに「軸がぶれている」状態です。そうなると整合性のある行動もとれませんし、本来見えているものも見えません。結果おかしな状態になって、「承認」が得られるものも得られなくなります。

だからこそ、「他人の承認」を求めない自分自身を常に意識していることが重要です。
一人で解決するような場面なら尚更ですが、他人と関わる場面でも必ず何かの「理由」が必要だとは限りません。むしろ、シンプルに自己を表現することで今まで伝わらなかったものがあっさり受け入れられた。ということも出てくるでしょう。

長々と書きましたが「他人からの承認、受け入れ」というものはあくまでも結果です。
一番大事なのはその過程の中で、いかにシンプルに私そのものを形つくっていけるかが大事です。
そう考えると、他人から理解されようとする姿勢は本来必要ないのかもしれません。

 

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