・「責任」は背負えば良いわけでない

 

もし、自分自身と向き合おうと思うならば、まずは自分自身に起こる問題を自分自身の責任で向き合うことが大事です。

よく言われるように「私」の人生は誰の責任でもなく「私」の責任です。
頭ではわかっていてもすべてを受け入れることは難しいことだと思います。

どう考えても「私」と関わっている他人たち、家族や友人といった近い関係の他人とは尚更お互いに影響し合っているので、受け入れがたい自分自身を誰かの責任にしたくもなります。むしろすべてを受け入れている人物のほうがずっと少ないかもしれません。

このような、わかっているようで受け入れがたい、人生における「責任」ですが、今回は逆に受け入れなくていいものもある、という視点で見ていきます。
生きていればたくさんの「責任」に向き合っているように感じますが、本当に自分自身に責任があるものは実はあまり多くはない、そういうお話です。

なぜこういうお話かというと、セッションに来られる方には「抱える必要のない責任」に悩まされている場合が少なくありません。
むしろ、人一倍周りに気遣いができるからこそ、他人の責任でさえも抱えてしまうのでしょう。

例えば職場において、社内の関係の不和も
「私」ができることはないか、むしろ何か原因があるのではないかと考えます。

家族関係においても同じく、子どもが自立してくれないのは「私」の育て方が悪かったのか、だとすれば「私」が彼の残りの人生もすべて背負わなければいけない、というように。

規模を広くみてみると、近所の老夫婦の一人が亡くなられたからいろいろと支援してあげたい。世界の貧困をなくすよう私でもできることをしたい
など、「私」にできることがないだろうかとアンテナを張って何とか探そうとします。

ここまで読まれて、何も悪いところは見当たらないと思います。世間には自分自身の責任逃れに全力になっている人がたくさんいる中で、「私」という存在が社会の存在である以上、できる範囲で「責任」のある行為をしたい。
その姿勢は素晴らしいことです。しかし「責任のある行動」と「責任を感じる」ことは違います。

先ほどの例において、「私」が責任を感じるべきものは実は何もありません。

職場の関係も全体の問題であって個人の問題ではありません。一人ひとりの存在が絡み合って全体の不和になるわけで、個人が「責任」を背負おうとしても、解決できませんし、むしろ皆に責任を押し付けられるだけです。

子どもに関する問題も、親としての子育てという「責任」があっても、子どもの人生は生きていないのです。いくら「責任」を感じても子どもの人生は生きられない、子ども本人しか人生の「責任」を背負うことしかできないのです。

世の中全体の話も同じです。「私」以外の責任は誰も背負う必要は本来ない
わけです。

それはみなさん、わかっておられると思います。
ただ、こういったことで悩まれる方は、「私が無理をすれば……」と向き合う必要のないところまで向き合ってしまうのですね。
優しさがあってこそで、始めは何かできることはないかと、手を差し伸べる程度の意識でいても、優しさ故に「私」が及ばないところまで何とかしようとして、最終的には「私」の問題として抱え込んでしまいます。

しかし、本来の「私」の問題に向き合うことさえ精一杯なはず。
対処できない他人の「問題」を抱えきることなんて到底できません。

生きていく中で手に入れていく、何かを掴もうとすることは大事ですが、捨てることも場合によってはそれ以上に重要です。
周りの問題を意識しすぎて、自分自身の問題を処理できなくなれば、結局は「私」のみならず、周りにさえ良くない影響を与えます。

いらない「責任」を捨てることも、あなたにとっての「責任」向き合うべき問題です。

残酷に感じるかもしれません。しかし、勇気を持って捨てることこそ、本当の優しさです。
ぜひ、抱えきれなくなった時は、そのことを思い出して「責任」を放棄していってください。

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